サン・レモに散る

これから向かう都市をきめる

車のボンネットいっぱいに地図を広げ、ぼくは、今いる場所に鉛筆をまっすぐ立てる。 その横で、その人は柔らかくぼくの腰に手を回す。 季節は5月、雲一つない空に、飛行機雲がひとすじ、左から右に白くにじんで光る。
「じゃ、いくよ」 
とぼくは、立てた鉛筆から手を離す。 倒れた方角に、車を走らそうという彼女のアイデア。 しかし鉛筆はころころ転がってボンネットから地面に落ちるのだった。 押さえていた手を離すと、地図は風に飛ばされた。 77年式の古い"フォード2000"、友達からたった500マルク*1で譲ってもらったポンコツ車。ラジオもエアコンもついていない。 そのかわりラジカセが一台積んである。 おかげでガソリン注ぐ度に、単二電池も一緒に買わなくてはならなかった。
そんなポンコツ車でも、彼女を乗せてドライブすると、横を追い抜いていく他のどんな車より誇らしかった。 彼女の名前は"ジョルダーナ"、ぼくが生まれて初めてスキになったイタリア人だ。そんな彼女をぼくは、"ジョル"と呼んだ。
ドイツに来るまで、ジョルはロンドンで雑誌のモデルをしていたという。 「でも、背が低いからね、全身モデルには、なれなかったの」と、彼女は言う。ジョルの身長は160cm、ぼくと並んで歩くとちょうどいい段差になった。「黄金の15cm」 ぼくの腕は彼女のどの部分においてもピタリと決まった。
ジョルはぼくに、「イタリア語」を教えたがった。 しかしぼくは、その前に英語を、そしてドイツ語を学ばなければならなかった。 だが結局、ぼくはイタリア語を勉強した。 "ウノ"、"ドゥエ"、"トレ"、"クワットロ" ・・・。 彼女が、他のイタリア人と母国語で話しているのをきく度に「いつか、遠くへ行ってしまうような」サビシイ気持ちになったから、だ。

数ヶ月後、しかしジョルは生まれ故郷の"サン・レモ"へ帰って行った。きっとぼくのイタリア語が上達しなかったからだろう。 それでもお互い、ポストカードのやりとりで交際は続いた。 愛しいヒトの、見知らぬ場所からの、ホストカード。 怠慢なイタリアの郵便事情のせいだろう、5回に1回は相手に届かなかったり、届けられなかったりした。そのことがいっそう、ぼくの焦燥感をつのらせた。はやる心は、郵便受けに感知センサーを仕掛けておきたかったほどだ。 ジョルのカードには、いつも最後に "Big Kisses to You ! "と書いてある。その上から、「赤いキスマーク」がぺたりと、押されていた。"Kiss"が複数形になっているのが、なぜかとてもうれしかった。 へたくそなジョルの文字、辞書をもってしても、そのミミズ文字は解読できないけど、ぼくはそこに、まるで"気持ちの溜まり"のようなものを感じた。 メッセージを何度も読み返し、カードに印刷されたサン・レモの風景を眺め、青い空を想い、乾いた風の匂いをかいだ。

初めての長期休暇を使って、ぼくは、ジョルの住むサン・レモへ行くことにした。 びっくりさせてやろうと、彼女にはわざと連絡をしないでおいた。
"ピンポーン"、とある日、ジョルが玄関のドアを開ける。そこにぼくが花を持って立っている。 ステキじゃないか! ぼくはワクワクしながらミラノ行きの夜行列車に飛び乗る。 彼女の好きな「日本酒」と「アメジストのネックレス」、それらおみやげをリュックに詰めて。
眠れないまま列車の中で朝を迎えたミラノ。 そこからさらに列車を乗り換え、お昼過ぎ、ようやくサンレモに到着した。 けっきょく17時間もかかってしまった、が、少しも疲れは感じない。 こんなに遠くから毎回、"Big Kisses"を届けてくれてたのかと、ぼくはむしろ感激し、力がわいた。

キスマーク入りのカードに書かれたジョルの文字を頼りに、何度も、何度も、町の人に道を尋ねながら、ぼくはサン・レモの町をさまよう。それはまた、楽しい宝探しゲームのようだった。 そして、ようやくカードに書かれた住所にたどり着いたのは、5時を少し回った頃だった。 家の前で遊んでいる近所の少女、ぼくは「チャオ」と挨拶し、その家の呼び鈴を押す。 いよいよ待ちに待った瞬間だ。 なんて言おう? 「チャオ」か、「こんにちは」か、「ボナセーラ」か、「んちゃっ」か? 庭に咲いた黄色い花、陽の日を浴びてキラキラと目に染みる。ヨーロッパの夏は日が長い。 夕暮れにはまだまだ時間がある。 少し休んだら、二人で海岸に出てみよう、と思う。そして夕日をながめながら海辺のテラスでビールを飲もう。 そう思うと、どうしようもなく顔がにやけた。ふと目を横にやると、少し距離を置いて、少女が不思議そうにぼくを見上げている。どこか不安そうな瞳が震えている、ようにも見える。

目の前のドアが内側から開き、中から出てきたのは、まさにジョル本人だった。 彼女の目の前、そこにぼくがニコニコと立っている。
ビンゴ! 
シナリオどおり! 花は忘れたけど、上出来だ。


ぼくは感激のあまり、言葉がでない。代わりに、右手をあげて挨拶した、インディアンのように。
目を見開いて、驚くジョル。 夢にまで見たぼくの愛しいヒト。栗色の髪型も、あのときのまま。 知的な口元もちっとも変わっていない。
それから一秒か二秒の間、ぼくはあらかじめ用意していた言葉を、もう一度頭の中で整理してみる。相手が日本人ならきっと歯の浮くセリフの数々、しかし悪くない・・・

と、その時だった。


「ママン・・・!」
見ると、そばでぼくを見上げていた近所の少女だ
その子がジョルに、だぁっと駆け寄り、腰に抱きつくではないか!
凍り付く、目の前の光景。


事態がうまく飲み込めないまま、彼女とその少女を交互に見るぼく。心に貯めておいたセリフ、しかしどれも使えない。 少しして、家の中からアルパチーノのような男がぬっと現れた。 今度は彼が、そのアルパチーノが、彼女とぼくを交互に見る。

「だれ?」 と、彼はジョルの肩に手をやり、別のほうの手で少女の頭をなでる。


( ̄□ ̄;)!!

<つづく>





いや、続きませんよー。
思い出しただけで、泣けてきますので。
それからぼくは、なんとか彼女におみやげを渡し、苦労して来た道を駅へと戻り、そのまま、列車に乗り込みました。 「彼女と歩くはずだった海岸」のすぐ脇を、列車はぼくを西へ、西へと連れ去りました。 森田健作のように、沈む太陽に向かってひたすらに。 国境を越え、フランスを越え、やがてスペインを越え、ついには、「ジブラルタル海峡」まで走りました。 気がついたらモロッコのラバトで、列車で知り合った親子の家に訪問してましたね。 その帰りに昨日書いた事件が待ち受けていたわけです。


なんというか、


「人生いろいろゲーム」
みたいな、ぼくの21歳



「人生イラスト写真日誌」・・・
ちょっと、言ってみただけとです。



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*1:当時の通貨レートで4万円程度