さよなら、「ブログランキング」

人気ブログランキング
ってのをぼくは、このブログを開設してから5日目の2月24日に知り、さっそく登録することにした。 特に深い意味や、強い意気込みがあったわけじゃない。
「他のブロガーのみなさんはじめまして」
といった挨拶のようなものだった。 当時この「ブログランキング」には5万ものブログサイトが登録してあったと思う(現在は約8万件)。初ランクインは300位あたりだったように記憶する。
でも、正直言って順位などあまり気にしていなかった。 「自分のブログを見てもらう」というよりはまず、「他のブログを見てみたい」という気持ちの方が強かったからだ。 この「人気ブログランキング」はブログ専用のヤフーやグーグルといった感じで細かなカテゴリーに細分化されており、見たいブログにアクセスしやすいよう工夫されている。 当時の「香港イラ写日誌」は、ものの20分程度で記事を書けるほどの分量だったので、ぼくは「発信」するよりは、「受信」するほうに注力した。 面白いサイトや興味あるサイトには、どんどんコメントを入れた。 書いたぼくのコメントに対し、ブログで記事を書いている方から返ってくるコメントがなによりの楽しみだった。
けれども、中には投稿コメントを返さない管理者もいた。
ぼくはこれに軽く失望感を覚えた。 きっと忙しいのだろう。 ならば、一般コメントを受け付けない設定にすべきだと思った。

ランキングには全く興味の無かったぼくが、「はっきりと順位を意識」したのは、開設してから2週間を過ぎたころ、ランクで言うと30位後半をうろうろしていたころだった。 このブログランキングの特徴は、25位以内にはいると、「ブログの自己紹介」部分の枠が広がり、がそれまでの20文字から60文字まで表示されるようになる。
「めざせ、25位以内」
という目標をたてたぼくは、「記事のレベルアップ」をはかることにした。 イラスト写真を見直し、「なおきん」という一人称キャラクターを登場させ、「お笑いネタ」を目指すようにした。
やがて3月17日(チラシ攻撃)では、これまでで最高のアクセス数400を越え、念願の25位圏内に突入。 ぼくはひとり静かに祝杯を挙げた。
4月にはいると、イラ写名物「トイレットコメントペーパー」がいよいよ本格化し始め、アクセス数が500を下る日はなくなった。 ランキングはすでに20位圏内に突入し、10位圏内を目指して爆走中。 20日(反日集会メール)ではついにアクセスは1000を越え、いよいよ10位以内を射程距離におさめた。 ぼくはうなる勢いで記事を書き続けた。 やがて、「週刊壹」にぼくのインタビューが載り、それをネタに29日の記事を上梓。 ぼくのブログへの想いを綴った自信作、ブログの秘める起爆力(4月30日)へとつながる。 ランキングは一気に7位まで上がった。

5月にはいると、アクセス数の伸びが尋常ではなくなった。 11日(なおきん90歳に会う)14日(生きてることの奇跡)では2000アクセスを越えるスマッシュヒットを記録。 ランキングも3位が定位置になった。 しかしこのころにはすでに、ぼくの帰国問題が持ち上がっていた。 ぼくはどこか焦り始めていた。 東京でのタコ部屋生活が始まれば、ぼくはブログに費やす時間はなくなる。 「香港」でもなくなる。
「イラ写を閉鎖しなくてはならない・・・」
うなりを上げてのびるアクセス数、しかしそれを喜んでいる余裕はぼくにはなかった。 「ガン宣告」を受けた患者のように苦悶の日々が続く。 閉めるか、残すか、続けるか・・・!? そんな折、「香港最強ブロガー委員会」の話がアキコさんから持ち上がり、5月15日、ついに香港ブロガー達が一堂に集まる、「第一回会合」が開催された。
始めて出会う、香港ブロガーのヒトタチ。 楽しく気さくでさわやかなヒトタチ・・・。 オンラインで感じたそのままのヒトタチが、それぞれの顔を見せて笑い合い、肉声を交わす。
それは、ブログがなんであるかを証明してみせた出来事だった。
さらに、ぼくがイラ写を開設して30日目、滞在先のバンコクで密かに自分に誓った、「100日連続更新記録」を同月28日、やはり滞在していたバンコクでついに達成。 このとき、「アジア地域」のみならず、「海外地域情報」においてもランキングは2位まであがっていた。

6月に入る。 ぼくは「イラ写の寿命を今月末まで」と密かに決めた。 できるだけ自然にフェイドアウトできるよう、その前段階として、自分の誕生日直後に、ブログランキングから「イラ写」を外すことを決めた。 5日には、ぼくが所属するロックバンドのライブに、香港ブロガーのみなさんを招待してみた。 楽しんでもらった様子でほっとはしたが、これではゆっくり親睦を深める機会にはならない。
やはり、「香港最強ブロガー委員会」(第二回目会合)をやらねばならないと思った。 「これを定例化したい、ぼくが居なくなったあとも、ずっと続けてもらいたい・・・」 続けるためにはベクトル線を引かねばならない。 2点をつないで線にしなければならない。 ぼくは急きょ幹事会に連絡を取り、準備を始めた。 願いかなって、第二回目が17日に開催された。 結果、第一回目を上回る香港ブロガー達が一堂に集まり楽しいひとときを過ごすことが出来た。 大満足だった。

18日は気の合う仲間が、ぼくのために「誕生日会」を開いてくれた。 とてもあたたかいもてなしを受けた。 しかし次々と杯が交わされ、ケーキのろうそくを吹き消しているそのときでさえ、ぼくはひとつどうしても気になることがあった。

ランキング・・・

それまで、1000ポイントという圧倒的な差で1位の「ホンコンひとりごち(管理者アキコさん)」に差をつけられていたぼくは、ここ数日のあいだ、数百ポイントまで肉薄していることが密かに気になっていた。
「ひょっとしたらミラクルが起こるんじゃないか !?」

期待するなというほうが無理だった。 ランキングから「香港イラ写日誌」を削除するまであと1日。 このまま2位で終わったとしても、ぼくは、応援してくれた方達を想い、それでじゅうぶん満足していた。 けれども今日は誕生日。 ミラクルだって起こるかも知れない。

そのとき誕生会に同席してくれていた、10gさんが愛用の「TREO(小型携帯情報端末機)」を取り出し、「なおきんさんのイラ写、これで見れますよ」とそれをぼくに手渡した。

おお・・・!

低い雲が忙しく流れる香港の夜空の下、ぼくは野外カフェのテーブルに座り、その端末をのぞき込む。
「立って歩く赤ん坊のイラスト」がディスプレイに映っていた。


はやる気持ちを抑え、ぼくはランキングへ、ランキングへとスクロールを繰り返す。 スタイラスをとりだし、目指すリンクをおす・・・


ぽち・・・


一位 香港イラスト写真日誌 4850ポイント


ラクル・・・、か!?

まわりにいた仲間から、「どっ」と歓声が上がる。
ぼくは声がつまったまま、「わぁ・・・」とうめく。

TREOの小さな画面のバックライトに浮かび上がる"1位"の文字
しかし、ぼくにはかすんでうまく見えなかった。

やばい・・・


ぼくは、あわてて夜空を見上げる。
そのまま夜空を注視する。 この夜空の元、「イラ写」を応援しポチし続けてくれたヒトタチを想い、ちっぽけな身体から精一杯のメッセージを送ってみる。


ありがとう


ありがとう


ありがとう


ありがとう・・・!!


想いは、夜空をつたって、うまく届いてくれただろうか・・・?

▼ ランキング削除直前の「香港イラスト写真日誌」の記録

  • 週間IN : 5520, 週間OUT : 16,890, 月間IN : 19,890
  • 最終ランキング成績 地域情報(アジア)  1 位
  • 最終ランキング成績 地域情報(海外)   1 位
  • 最終ランキング成績 総合    71 位(80,000中) 
  • 地域情報一位までにかかった日数    117日


これまで、「ぽちっ」としていただいた、すべての人に感謝します

香港時間22時56分、「香港イラスト写真日誌」は、「人気ブログランキング」から、いま静かに消えました