比べると不安に?

他人と比べるから自分は不安になる?

香港に来てから4年を越えた
ここへ住み移るきっかけとなった会社はITバブル崩壊と共に倒産。 仕方なく起こした会社もいまは役目を終えたので休眠中。 それ以降は、相棒や友人の会社を手伝ったりしながら過ごし、いまは東京に株式会社を起こして役員として参加してます。 月給をとってたのは最初の1年ちょっとだけで、あとは「契約料」や会社が利益がでたとき、ちょっと自分の個人口座にお金を移すといった感じ。 でまた、資金が必要なときはまた会社口座にお金を移したりするんだけどね。(笑)
休みにしたって「一日中休んでた」っていう記憶はないです。 休暇先にパソコンを持ち込み、ホテルの部屋でメールやったり、プールサイドで企画書作ってたり、象の背中に揺られながら取引先と電話したり、とかね。

「われながら、ひどい境遇だなあ」(笑)

とはちょっと思えない。 「痛快だった」のひとことに尽きます。
親しい友人などはあきらめたのかもう何も言わなくなったけど、さいきんの知り合いなどは、そんなぼくに蔑視感たっぷりの口調で
「将来に不安とかないの?」 とか、真顔で訊いてきます。
そんなとき、ぼくは自信たっぷりに
「ないです」
と、答えます。 だいいち、そんな相手に自分の不安を打ち明けても仕方ないし、そもそも「不安がなにかの足しになったためし」がない。 目覚めが悪くなるし、寝付きが悪くなる。人と会うのが恐くなるし、何かを始めるのにジャマになる。 むしろ、「不安がなにかの役にたった」という方がいらっしゃれば、こっそり教えてください。

「自分を認めることが出来る人」はステキだと思います。 だって、その人は、「他人と自分を比べることをしないから」。 人と給料を比べたり、容姿を比べたり、学歴を比べたり、家族を比べたり、会社を比べたり・・・、とまあきりがないですが、他人と自分を比べるとき、そこにエクトプラズムのようにもくもくと発生するのは、「嫉妬」や「ねたみ」、あるいは「慢心」や「蔑視感」、それらがやがて行き着くのは、「自分への不満」や「不安」だと、ぼくは思っています。

自分が不安だから、他人も不安にちがいない、と思いこむ
こうして、不安の連鎖を広げてしまう人

100万円以上もする「幸せの壷」を友人に勧めるようなタイプです。

ぼくは基本的にどんな人でも好きになれる自信がありますが、こういうタイプはだんだん疎遠になります。
会社の愚痴や友人の愚痴、または自分の不幸な境遇、それらを臨場感たっぷりに話してくれる友人をぼくは多く持ちますが、しかしぼくはただ話を聞いてあげるだけ。 「大きな穴」になったつもりで友人の「愚痴や不満」を吸収するだけです。 ここで、「そうなんだよなあ、オレもこないださあ」ってここで反射させると、連鎖しちゃうから、自分は黙って、「うんうん、それで?」、とか言いながらお酒をお代わりしてる。
人は知らず知らずにいろんなものをしょいこんでしまう。 責任感の強い人ほど、その傾向は顕著。 ならば、しょいこんだものを、やれやれとおろす場所がぼくであればそれでいいし、むしろありがたい。 それはぼくを「安心する場所」と認めてくれているわけだから、です。
でも、「わたしはダメな人間だから」とか、「アイツばっかりいい思いをして」とか、そんなふうに「誰かと比べて」とやかくいう友人には、やはりつい口をはさんでしまう。 申し訳ないですけど。
「幸福の壷」は、欲しくないので (笑)

世界には60億人もの他人がいる、そんな他人と自分を比べてたら、きっとへとへとになっちゃいます。 「不安の連鎖」は安易に「憎しみの連鎖」へとつながりやすい。 ましてネットにそんな連鎖が始まれば、止めどなく拡散してしまう。 まるでコンピュータウイルスのように、スパイウエアのように、チェーンメールのように・・・。
だからぼくは、そういう話題を出来るだけ避けてきました。 すると不思議なもので、このブログにそういった類のコメントを寄せる読者もほとんどいない。 これは「イラ写の読者」のリテラシーが非常に高いということです。

世間の価値観に振り回され続けるには、あまりに、人生は短い

どうか、他人と比べることでいたずらに不安にならず、「自分らしく快適に」 生きて欲しいです。


「そんなこと、おまえにいわれたかないね」、と思われた方
どうも、すみません。