植民地にみる親日度

こんなとこりにも、日本の植民地だった

ぼくがずっと気になっていることの一つに、第二次大戦前から日本が植民地としていた国々や地域 (台湾、韓国、満州ミクロネシア、サハリン等) の「親日度」ってのがある。
「植民地政策はよくなかった」とか、「迷惑をかけた」などと、「謝罪しておしまい」ってな風潮に、「ちょっとまったぁ!」と挙手したくてしかたがない。 「日本は悪いことばかりしてました。 当時の"悪い日本人"に代わり、"いまの日本人はいい人"だから反省して謝ります」ってのは、要するに「あと出しジャンケン」じゃないか。 つまり戦後民主主義主観の「日教組教育」なり、「GHQ洗脳」なり、「当事国の政策」による「あと知恵」で、「あのときの日本や日本人」を某国と一緒になって責め続けていていいのか。 「いい人」には誰もがなりたいかもしれないけど、なにも先祖を踏み台にしてまで「いい人」には、ぼくはなりたくない。

香港やシンガポールといった「戦中(1941-1945)に軍事統治地域(つまり軍政された地域)」ではなく、それまでの「日本の戦勝」によって、清やロシア、ドイツといった国から割譲された前述の地域は、それなりに長い年月(15〜50年程度)、日本の統治を受けたり、親日政権を立てたり、あるいは日本そのものだったりした。 そんな地域のヒトタチは、そんな(戦後ではなく)当時の宗主国日本に対し、「いったいどんな思いだったのだろう?」とつい気になってしまう。

ミクロネシアカロリン諸島に「パラオ共和国」というのがある。 ダイビングのメッカとして、日本からも多くの観光客が訪れているという。 ぼくはまだそこへ行ったことがないが、ものすごく興味がある。 「かつて日本が委任統治していた地域のひとつ」として。
パラオ共和国」の独立は意外と遅く1994年10月、同年12月には国連にも加盟している。 それまでは国連の太平洋信託統治領として米国に統治されていた。 総人口2万人足らずのミニ国家だ。 香港に住む日本人より少ない。

パラオ共和国の位置

しかし1943年当時、ここの人口は3万人以上もいたそうだ。 しかも、そのうち「2万5千人は日本人だった」というからびっくり! それまでスペイン人やドイツ人に植民統括されていたこの島は、ろくな文化やインフラがなかったが、日本が他の植民地にしたように、1920年以降は日本人による「都市建設」が施された。 電気を通し、道路を整備し、島々の間には橋が架けられた。 数々の研究所が建てられ燐鉱石の採掘所、公学校や病院が次々に建てられ、野球場まで作られた。 市場経済を導入し、漁業、農業が定着させた。 マグロや鰹の加工生産という地場産業もこうして育っていった。 現地の人々に日本語や算数、公衆道徳が教え伝えられた。 通常欧米諸国がこうした植民地でやっていたのは、地場産業の搾取と、住民の奴隷化であったが、どうも日本人はそうすることになじまなく、本国からヒト・モノ・カネを惜しみなく投入し、まずは現地での自給自足を促し、それから日本に必要な産物を「貿易によって」本国へ供給していたようだ。 そのシステムは、日本の大手商社がいまでもやっていることに、どこか近いモノがある。いまよりもずっと貿易が不自由で、いまよりもずっと人種差別が横行していた国際情勢の中で、それは北は満州、サハリンから南はトラック諸島までを含む、当時の日本の経済・軍事ブロックの確立、つまりライフラインの維持政策でもあったのだろう。


▲ 米水陸両用戦車の残骸 (日・米戦闘の激戦の名残でもある)

結果、パラオ人は現在に至るまで世界でも有数の親日国家となった。 自分の子供に"ジロウ"や"キョウコ"といった名を与え、しかも名字も"ナカムラ"や"ヒガ"、"アオキ"と名乗っている。 日本の古い童謡も代々伝えられ、アメリカ軍に壊された神社なども現地のヒトタチによって再建された。(南洋神社) 独立時に制定されたパラオ国旗は住民投票によって選ばれたが、日本の国旗そっくりだ。 青地は海を表し、黄色の丸は、日の丸の「太陽」に対しそれをを映す「月」の意味なのだという。 なお、この「黄まる」はやや左にずれているが、これは「あまりにも日の丸とそっくりだと、日本に対して失礼だから」ということで、そうしたという説もあるほどだ。

▲ 「日の丸」によく似たパラオ共和国の国旗

戦後アメリカは、日本が作り上げたそれまでのインフラや産業をたたき壊し、パラオを「国連の援助漬け」にしてしまった。 「搾取」にせよ「援助」にせよ、欧米諸国がアジアやアフリカでしたり、していることは要するに、「原住愚民化政策」の一環だ。 日本がやってきたこととは全く違う。 しかしそうした「愚民化」も、パラオ国民の心にあった「愛日の想い」までは壊せなかったようだ。

▲ いまも「最高裁判所」として使われている「日本旧南洋庁

だのに、日本政府はまるで「季語の枕詞」のように、「アジアの人々に多大な迷惑を被らせ」たとして、謝罪し続けている。 その垂れる頭が再びもたげないよう某国政府(複数)は、さまざまなプロパガンダで押さえつけているが、(その某国民を含めた)そんなアジア人の想いをないがしろにしているのは、むしろ我々日本人ではないかと、ぼくは思う。

教科書も新聞も教えてくれない「ぼくたちの祖父の時代の日本」、謙虚に耳を傾けなければならない歴史は、「負の歴史」のみではないだろう。


【参考資料引用】パラオ政府観光局外務省地域情報