宛先不明の宅配便

「ただいま」なのか「いってきます」な

短い沈黙を経て、ぼくは通ってきた道のことを振り返る。長くはかなかったジーンズのポケットに見つける古いライターのように、普段は意識することのない記憶。机の引き出しの中に眠る古いレシートのように、それらは主張することも利用されることもなく、辛抱強くそこでじっとしている。

2005年7月15日から9月15日までの東京生活の方が記憶に新しいはずなのに、2ヶ月前の香港の記憶の方がここでは新しいことに少し驚く。風景も街の匂いもそこに住む古い友人たちも、ちっとも変わっていないことに安堵を覚え、それから軽い記憶障害に陥る。「広島」、「名古屋」、「東京」、「デュッセルドルフ」、「セブ島」、「ロンドン」、「パリ」、「香港」、そして再び「東京」・・・間違えて届けられる宅配便のように、ぼくは各地を転送して回る。
「戻ってこい」
と、友人達はそう言う。香港でも、日本でも、そしてドイツでも。そんなときぼくは、探偵小説などの巻頭部分に載せられた「登場人物の紹介」を思いうかべる。はたしてぼくは、そう言ってくれる人達の世界にとってどういう「登場人物」として紹介されているのだろう?と。

人はいつしか「あるべき世界」を思うままに築き上げる。その世界の中心にマイホームを建て、そこに住むべきヒトタチを選別し、そこで演ずるべき役割が決められていく。ぼくにもそんな世界があるが、別のダレかにももちろんそれはある。その人の経験や体験に裏付けられた価値観とセオリーがこの世界の成り立ちだ。 ある日、ぼくは「とある世界」での裏切り者となる。理由はそれほど多くはない。その世界において演ずるべく役割を、それ以上果たさなくなるだけだ。 やがて送り状が貼り替えられ、ぼくは再び発送される。同時に「登場人物リスト」から名前を消される。

「東京イラ写」になってからアクセス数は半分に減ったとはいえ、ありがたいことに、それでも「イラ写」には連日平均1200ページビュー、毎日約600人のアクセスがある。このうち毎日230人もの方が「ブログランキング」ボタンをクリックされ、毎日20人〜30人の方からコメント、あるいはメールをいただく。他のブロガーさん同様、ぼくは常にその存在を他に知られる立場になった。音信不通になった古い友人や家族、かつての仕事仲間にとっては「生存確認」の役割も果たしている。
「イラ写」で発信されるぼくのメッセージには「送付状」というものが貼られていない。だから、メッセージはどこにでも届くし、どこにも届かない。結果として「読み手」に主導権をゆだねられるのがブログの特徴だ。それを前に、「書き手」であるぼくはどこまでも無力な存在だ。
そんなとき、ある人にとっては「あるべき世界に住むなおきん」と、「イラ写のなおきん」に深いギャップを感じ、とまどいを覚えることもあるのだろう。更新された記事を眺め、コメント欄で交わされる対話を眺めながら、快く思わない古くからの友人もいる。高層ビルの麓に作られる小さなつむじ風にも似た、突如わき起こる疑問の渦、そこに期待された答えをうまく紡ぐことができないまま、ぼくは塵や木の葉と一緒にくるくると所在ない。こうして翻弄されるままにぼくは「悪役」として、「あるべき世界」の登場人物リストに再登録されることもあれば、リストそのものから削除されることもあるのだろう。あるいは洗浄され再教育を受け、もとにあったリストに戻されることだってあるかもしれない。

毎日を疾走しながらもぼくは、今いる場所や目的地が一瞬みえなくなることがある。それは軽い記憶障害のようでもあり、苦痛から逃れようと反応する自己防衛本能のようでもある。


明日からは再び東京、
そこはぼくにとって「ただいま」なのか、はたまた「いってきます」なのか、よくわからない。

方向音痴にもほどがある
と、つくづくそう思う。




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