余分なものと偶然性

現代風の手書き風景

だれもが同じパソコン文字を使って違うコトバを伝えあう時代。
メールとWEBが当たり前になった今の時代で、「アナタらしい筆跡」を残すのはカンタンではない。
まだワープロが生活に普及していない時代にもらった愛しい人の文字は、いまはもうなくなってしまったけど、そんな昔の彼女にまとう面影のそばには「筆跡」というかけがえのない個性があり息づかいがあった。

そもそも人がペンを持って何かを紙に書き写すとき、「情報」や「文脈」とは違う別の何かがちゃんとそこにあって、伝える誰かにあるいは少し先の自分に「あなたらしさ」を残すことが出来ていたと思う。

ブログやHP、メールという媒体には、どうしても「情報」という意味合いが強いため、発信者が本来持っているはずの「アナタらしさ」とか「偶然性」といった「余分なもの」が見えにくい。 もちろん、「余分なものは不必要である」という性格のものならそれでもいいのだけど、個人ブログといった媒体ならば、どれも同じに表示される文字のほかに、なにか「自分らしさ」が表現できるといいなあと思う。
ぼくがこの「イラ写」に必ず「手書きイラスト」を少なくてもひとつ、載せることを心に決めた背景には、以上のように思いがあった。

それがある日、いまでは香港ATVの人気番組(?)『ジャパニーズタイム』のパーソナリティ、りえさんと番組プロデューサーの目にとまることになり、ぼくのつたないイラストが「TV出演する」ということになった。 すでに10回の放送を終え、今週末で11回目を迎えるというこの番組。 すでに来年以降も放送続行が決定し、制作会社は蜂の巣をつついたように大騒ぎ。 連日大忙しで制作準備に取りかかっているという。

ぼくのイラストは、この番組の【異議あり!生活法律相談所】というコーナーで登場している。 しかもオリジナルのイラストに制作スタッフが特殊効果を加え、単なる「電気紙芝居」にとどまらずちゃんとアニメーションになっているようだ。 (日本では放送されていないので、ぼくは実際には見ていない)

こんなこと言っちゃミもフタもないけど、ぼくのイラストなんてそもそも、酒場で酔った勢いでコースターの裏に殴り書きする「ラクガキ」にすぎなかったのだ。 それが「イラ写」を通じて周知されるようになり、こうしてお茶の間にまで届くようになってしまった。 正直なところ、「うれしい」というよりは「申し訳ない」といった感じだ。
だって、本当に他愛のない「ラクガキ」だったのだ。

数ヶ月前、りえさんからこの仕事(?)の依頼を受けたときは特に何も考えずにOKを出したのだけど、これがけっこうきつい作業だった。 一日平均15時間労働で拘束される仕事に加え、「イラ写」の更新や「日刊ブロガーズ」の管理。 おまけにここしばらくは「ライブの準備(ほとんど何もしていないけど)」なんてのもあった。 会社経営に携わっているということもあって、勤務時間以外にもやれ事業計画づくりだの接待だので時間を取られることも多い。
たぶん似たような作業をしている人には理解できると思うのだけど、「イラストを描く」というのは、ある程度気持ちに余裕がないとクリエイティブなものは描けない。 いくら眠い目をこすりながら机の前に座ろうと、湯船につかりリラックスしようと、気分転換のために近所のドンキホーテに立ち寄ろうとも、「でないときはでない」のだ。
まるで重度の便秘患者のように。

当然ながら〆切前までに作品を出稿することは、戦車を海に浮かべ、潜水艦を空にとばすくらいに難しい相談だった。
そのことで制作スタッフやスポンサーに迷惑をかけたり、成果物のクオリティが悪いためにやがては番組の質を落としてしまわないかと、それがとても気がかりだった。 来年も引き続き「依頼」を受けていたのだけど、このままだと双方に支障が出てきそうなのがコワかった。


「断るしかない・・・」

と思っていた。


そんな折、先日制作会社のスタジオにおじゃまする機会があった。場所は香港島のフォートレスヒル。 東京でいうところの阿佐ヶ谷といったところで、まわりにはショッピングセンターやオフィスビルのほかに、多くの古い高層住宅街が立ち並んでいる一帯の中にあった。

もう夜中の0時を回っているというのに、スタジオ内はごくごくフツーの仕事風景。 「いつも夜型なんですか?」の質問に、りえさんは「午前中にも午後にも仕事がありますよ」とこともなげにいう。 じゃあいったい、いつ寝てるというのか!?

▲ 近寄りがたいくらい真剣に作業中のりえさん ("天使の輪"とかつけてんのに・・・)


▲ 今やすっかり有名人「美人なのに3枚目」ってとこがいいです

「朝10に寝て、夕方の4時まで爆睡してしまいあわてたこともあります」とりえさん。 電話もつながらず、自宅のドアベルにも反応しないのでプロデューサーのラソンさんは「死んでいるのかもしれない・・」とあわてさせてしまったとのこと。
「じゃあ、警察か救急車を呼んだんですか?」と試しに訊いてみると
「お腹が空いてたので、ひとりでごはんを食べに行きました」との答え。

ラソンさん、おもしろいけどクール過ぎです。
スタジオではちょうど、ぼくの描いたイラストを加工しているところだった。 部屋いっぱいに並ぶ機材、積み重なる機材。 所狭しとワケのわからないものがいっぱい。 机の上の虫眼鏡はなににつかうのだろう? それはまるでコクピットのようで、席に座る制作スタッフたちはさしずめパイロットというところか?


▲ ある意味パイロットなラソンさん


画面に映し出される心電図のような音声信号、そのギザギザを診るだけで、どれがボイスかノイズかを瞬時に判断できるのだというラソンさん。 鮮やかな手さばきで、ぼくのイラストに次々とエフェクターを加えていく。巧みだ。匠の技だ。



▲ 番組制作のための編集作業はこんな感じ

「不動産の前で部屋を物色する女性」を描いたイラスト。 かれは彼女のお尻を切り取り、左右対象コピーを作り、これらをつかって「お尻をふっている」ようすをアニメーション化しようと、いろいろといじっている。 考えようによってはずいぶんエッチな作業だ。 「もう少しスカートを短く描いておけばよかったかな」とヨコからディスプレイをのぞきながら思う。 (いろいろ試行錯誤の上、結局あきらめちゃったみたい) 同じイラストでは「道ばたを歩いている犬」がなんと空から降ってきたりするシーンも!?

きめの細かい作業がくり返され、少しずつ少しずつ一本のアニメーションが制作される。 「ラクガキ」程度のこんなぼくのイラストに、これほどまでに精魂が込められているとは・・・!?
ユーモラスなイラストと真剣に眉間に思い切り皺を寄せてディスプレイを見つめるラソンさん、余りにも対照的なそのふたつをかわりばんこに眺めながら、いつしかぼくの気持ちは変わっていった。
ぼくが描くイラストの遙かに多くの時間をかけて、このわずか5分のアニメーションは制作されている。 声の吹き替えを担当するマークさんとさっぴばさんも加わって、このコンテンツに命が吹き込まれていく。
それらを目の当たりにしながら、ぼくはいつしか「断るコトバ」を失ない、それとは別に不思議なエネルギーがわいてくるのを感じていた。


どこまで出来るかわかんないけど、求められる限りやるしかないんじゃないか?
と思えるようになってきた。


時代を反映して、次第に失われつつある「手書き文字」のような余分や偶然性を、ぼくは「イラスト」で残したいとあらためて思う。 イラストが描けるのは、とても幸せなことだとあらためて思う。

そしてそれは音楽についてもそうだろう。
いい音楽はコンピュータを駆使すればいくらでも作れる。 だのになぜ、あえて人は楽器をつかって、肉声を使ってそれらを演奏するのだろう?

つきつめれば必要のない、「余分なもの」や「偶然性」。 こんな時代だからこそ、それらにぼくは身をゆだねたいと思う。


生産性や効率性ばかりをもとめる、「今の時代」なんてくそったれだ!


明日はぼくの所属するロックバンドのライブ。 ぼくはこれに出演するために飛行機に乗ってやって来た。 「ギャラも出ないのにバカだよなあ」という友人もいる。

ぼくに言わせれば、「そういうオマエこそがバカ」だ。
人間はコンピュータの進化ほどには進化していないし、する必要もないということを実感してみたいと思う。

■ りえさんとのツーショット


  • テレビに出演するようになってから、道ばたで「サインください」とか言われませんか? とりえさんにきくと、「ありえないですね」という回答。 いま売り出し中の彼女、サインもらうなら今がねらいドキかも!? もらってないけど・・・

午前10時にはTVの前でおはようさま!ってことで。 ぼくも実際に放映されるのを観るのは明日が初めて。 楽しみです!