表札とエレベーターの定理

エレベーターではみな、ストレンジャー

香港には、「表札」がない。
各アパート入り口付近には、郵便受けがずらりと並ぶが、どれも「番号」しか書かれていない。玄関にも、表札はない。
日本にはもちろん「表札」がある。 そのおかげで、こんど隣に引っ越してきたのは「田中さん」、っていうのがわかる。
以前住んでいた、デュッセルドルフ(ドイツ)やロンドン、パリにも、「表札」があった。アパート入り口のネームプレートをみて、「あ、日本人も住んでるんだ」と思ったりした。「アラブ系」、ロシア系」、「中国系」・・・、名字を見ればだいたい人種がわかる。折り込みチラシを放り込むときにも便利かもしれない。「外国人嫌い」な一部ドイツ人にとっては、引っ越し先のアパートを選ぶときに便利だったろう。
「香港には、どうしてないの?」
「必要ないし、あぶないでしょ・・・」
にべもなく、そう言う。 香港人に言わせると、郵便受けや玄関に表札(ネームプレート)があると、「犯罪にまきこまれやすい」んだそうだ。広州にも台北にも「表札」はない。 「人を見たら泥棒と思え」の中華思想。ご近所も外来者もみんな、「泥棒候補」なのだろう。 大げさな鉄格子のついた玄関。 「ガララララァ、ガッシャーン!」と、誰かが出入りする度に、大音響がフロアにこだまする。 映画で見た牢獄のシーンを思い出す。
殺伐としてくる。
アパートのエレベーター、香港に越してきたばかりの頃はそれまでの習慣で、「こんにちは」と言ってみた。
誰もあいさつを返さない。「聞こえなかったのかな?」、「きっとぼくの発音に問題が?」と、そのときは思った。たまにいる白人はちゃんと挨拶を返す。「いい天気ですね」そんな言葉すらかわすこともあった。
しかし、結局のところ「エレベーター内の挨拶」はその後すぐにやめてしまった。あいかわらず香港人は、挨拶を返さないどころか、不審そうに睨んできたりもする。 「ゲップ」で返されたときは、殺意すら覚えた。
日本やヨーロッパでは感じなかったこの殺伐とした気分。 他人にかまわれたくないのは東京もパリも同じ、だが香港のそれはどこか「救いよう」がない。きっと、「表札」がないせいなのだろう。
「"表札の有無"と"エレベーター内での挨拶"は比例する」
表札のない場所は挨拶もなく、表札のあるところは挨拶もまたあると、ぼくは、そう定義する。
世界はこれほどまでに広いのに、なぜか、群れ、ひしめき、肩寄せ合って暮らさなきゃならない都市生活者、ゆえに「相互依存」するのか「相互不信」になるのか、この二律離反はどこか悲しい。


「本当に他人は泥棒ばかり」なのかなあ? ポチっと応援を

【なおきんコラム:お手製ディナー】
外食続きの毎日、「休日くらいは自分で料理を」と、ラムチョップにチャレンジ。
ニンニクをオリーブ油で炒め、ここにローズマリーと黒こしょうをまぶした骨付きラムを「じゅゎゎぁああああ」っとね。

軽く塩で味を調え、火を止める前にラム酒をたらす。 いただき物のイタリアワインと一緒に食べました。
「んんんん・・・んまい!」 日本から空輸したばかりのアサリとワインでさっと炒めたパスタも一緒に、でお腹いっぱい、満足でしたあ。