人とひとの間には鏡

人とひとの間には鏡がある

ひとと、ひとの間には
大きな、見えない鏡があって
自分の顔を、他人に映す。
鏡こそは、「コミュニケーション」だと
ぼくは20年前のある日、気がついた。
以来、ずっと「バカの一つ覚え」です。

自分の表情は、相手の表情
自分が笑うと、相手も笑う
自分が怒ると、相手も怒る
自分が悲しむと、相手も悲しむ
自分もまた、相手を映す鏡となる
相手が楽しそうだと、自分も楽しくなる。
「相手が悲しそうだと、自分は楽しくなる」
なんてことは、本来、ない。
「嫉妬」や「ねたみ」は、「コミュニケーション」では、ない。


人と、ひとが出会う。
ぼくは、はにかみながらも近づいてみる。
相手も、はにかみながら近づいてくる。
ぼくは微笑んでみる、鏡の向こうでやはり、相手も微笑んでくる。
相手を好きになることは、こんなにも簡単だ。


けれども
ひとはまた、ひとを疑う。
ひとはまた、ひとを恨む。
相手をキライになることも、やはり簡単だ。
相手と離れる、相手も自分から離れる。
人とひとの間には、鏡があるから
その距離はいつも、2倍の速度でひらいていく。

「どうやら、中国人は日本人がキライらしい」
「どうやら、韓国人も日本人がキライらしい」
鏡のこちら側で、やはり相手をキライになる。
憎しみの連鎖は、「鏡」だからこそ、絶え間なく続く。
相手は自分じゃないけれど
自分の姿を、鏡に映す。


だから
知恵と勇気を総動員させて
嫌いな相手を好きになる
苦手な相手に声をかける
相手が強(こわ)ばるとき、自分もまた強ばっている。
知恵と勇気は、こんなとき使うのだろう。
べつに「冒険」にでなくたって
知恵と勇気は、「日常」でつかえる。
人とひとの間には鏡があって
相手は自分を映し続けているから。


と、ぼくは思っています。
「眠れない夜」があったとき、
ちょっとだけ、「鏡」について思いだしてください。



「そんなことも、あるなあ」、ポチっと応援感謝です。