生きてることの奇跡

幼いぼくに、祖父の話を聞かせる祖母

今こうして生きていられるのは、それだけでじゅうぶん奇跡なのかな?って、思う。 それは「気まぐれな幸運」のようでもあり、たまたま「不幸」がサボタージュしていたのかもしれない。 今こうして「イラ写」を見ている人もそうかもしれない。 ぼくが今、いささかくたびれたカラダをしょいながらも、ささやかな人生を歩めていけるのは、「"方向音痴"の子孫であったから」 そして、「"あのとき"暖房が壊れていたから」、だ。

「なんじゃ、それ?」

まあ、聞いてください。


■ 「方向音痴」の奇跡

よくある逸話で、「アンタが生まれてきたのは、父ちゃんがたまたま弁当を取りに帰ったからなのよ」 ってのがある。 家に帰ってきた父ちゃんがムラムラっときて、かあちゃんと、「つい一発した」ときの子が「アンタ」ってわけだ。
ばあちゃん子だったぼくは、ある日小学校の遠足で迷子になり、警察で保護されてしまった。祖母は泣きじゃくっているぼくを家に連れ帰り、
「あんたが方向音痴なのは、あなたが生まれることが出来た理由でもあるのよ」という。
「ほ、ホウコウうんち・・・!?」
と、鼻水を垂らしたまま、ぽかーんとする小学生のぼく。
どうやらぼくの「方向音痴」は、先祖代々伝わる能力(?)でもあるらしいのだ。
ぼくの祖父は元軍人で、戦時中は戦車小隊長として、マレー作戦に従軍していた。 そして作戦中、こともあろうにジャングルで小隊ごと迷子になってしまい、途方に暮れていたという。

そこへ走ってきた伝令から、「合流するはずの戦車中隊が敵のまちぶせ攻撃に遭い、不幸にも全滅してしまったこと」を聞かされ、びっくり。 それまで、"バカ隊長"などとののしられていた我が祖父は、いっきに名誉挽回。 隊員達からは、「命の恩人」と、今度は一転"神様"扱いされたという。
つまり、あの時あの場所で迷っていなければ
おそらく祖父は、"戦死"していたのだ。
生き残った祖父は、シンガポール陥落後任務を解かれ、内地(日本)へ無事帰任、実家に戻り待っていた妻(祖母)と、「ひさしぶりじゃあ、ハニー!」、「よっしゃこーい、ダーリン!」と、「ずばっ」と床上突撃。 こうしてデキちゃったのが、今のぼくの親父。 この人がまた、ぼく以上に「方向音痴」だったから、「親子三代 人生迷い道劇場」てなことになってしまった。 祖父は、「方向音痴」がゆえに神様になれたけど、オヤジの人生は今のところそんな体験はないし、ぼくももちろんない。ある意味、「平和って残酷」だなぁ、と思う。
でもまあ、こうしてぼくは生まれることがてきたわけです。


■ 「暖房故障」の奇跡

まだ、ユーゴスラビアが今のように国境分裂していなかった1986年のある日、ぼくは、ベオグラードからザグレブ行きの寝台列車に乗っていた。 なんと一等寝台である。 二人でコンパーメント一部屋を占有できるわけだ。 これも物価安のおかげ。 ぼくは思わず「社会主義バンザーイ」と叫んだ。
「しかし寒い」、どうやら暖房が故障しているらしい。 ぼくは車掌に文句を言ったが、あいにくどの車両も満員で、部屋を替えることは出来ないといわれた。 これもまた社会主義国家なり。 「ひどい!せっかくの一等寝台なのにっ」と、憤慨したがまあ仕方がない、たった900円で動くホテルが確保できたんだからとあきらめた。 しかし、夜間の山岳地帯を走る列車だから「すきま風」もそれなりにスゴイ。窓側に足を向けていたぼくは、我慢できず、「どうせ冷えるなら頭の方を」と思い、頭と足を方向転換した。 これで少しはマシになった。 そして、子猫のように丸くなって震えながら寝ていた。 なんだか、シベリア送りの罪人の気分である。
明け方だろうか? 突然、
"ガッシャアーン"
と、とんでもない破壊音と振動で、目が覚めた。 「事故か!?」 寝ぼけ眼(まなこ)をこすりこすり目をこじ開けてみると、二段ベッドの上の段が片方落下してしまっている。

上で眠っていた当時の相方が、「きゃあああ・・」などと叫んでいた。 無理もない。眠っていたところに、ベッドがとつぜん、頭の方から落下したのだ。ちょうどぼくの足下の先に、斜めに落下したベッドの先が見えた。
しかしぼくは、あまりにも眠かったので、相方に「だいじょうぶ? ケガはなかった・・・?」 といったきり、どうやら再び眠ったらしい。

「その後も、ぐーぐー眠ってたわよ、死んでたかもしれないのに・・・」
と相方は文句を言う。 「うるさいなぁ・・・」とその時は思ったが、もしあのとき暖房が故障していなかったら、きっと永遠に眠りから覚めなかったはずだ。 上段ベッドの鉄枠は、下段ベッドのマットレスを見事に引き裂いていた。 ぼくは、寒さをしのぐために、頭と足を180度逆にして丸まって眠ってたのが幸いしたのだ。ちょうど落下した鉄のフレームをよけるかのような格好で。



「方向音痴」でなければ、ぼくは生まれてこなかったし、
「暖房が壊れ」てなければ、おそらく生きてはいなかった。

今こうして生きていられるのは、それだけで奇跡なんだろうと思う。
ぼくも、そしてきっとあなたも。


ならば、「しっかり生きなきゃ」って、いまさらのように思う。




 「死ぬかと思った」第二弾です。 ポチっと応援を