90歳、パソコン始める

こころくんとからだくん

ジェニーさんからの再メール。
あの徐おじいさんが、なんと「パソコンをはじめたい」と言いだしたのだという。
昨今、「5歳からパソコンを始める」というケースはめずらしくなくなったが、「90歳からパソコンを始める」というのは、初耳だ。 だって、今年90歳といえば、「ロシア革命(1917年)」よりも前に生まれている人間だ。

あり得ない・・・

さっそくぼくは「真偽のほど」を確認するために、ジェニーさんにメールを返信した。 直後、ぼくのケータイがぷるぷると鳴った。
誰であろう、あの徐さん本人からだった。

「今夜、ジェニーがパソコンを届けてくれるんですよ」
徐さんは、電話の向こうではしゃいでいる。インターネットもさっそく申し込んだという。 しかし「今夜届ける」ったって、徐さんのアパートは地上5階、エレベーターは例によって無い。 そりゃないだろう!?
「パソコン、ぼくに運ばせてください・・・」
こんどはぼくが、ジェニーさんに「電話をする番」だった。

以前、徐さんと初めてお会いしたとき、彼は寝たきりの奥さんに会うため約11年間一日も休まず病院に通い彼女を励ましていた話を、ぼくにしてくれた。 以来ずっと、ぼくもその階段を上ってみたいと思っていた。 何度も、「いいです、自分たちでやりますから・・・」というジェニーさんを口説き落とし、デスクトップパソコン一式、それからパソコンテーブルを、さっそく運ぶことにした。 仕事上がりの午後10時半。 ジェニーさんはぼくを拾い、おじいさんの待つアパートへと車を飛ばした。

階段は案の定、きつかった。 しかもパソコンテーブル(組立前)とパソコン本体、ディスプレイ、その他アクセサリーをかついでの上り下りだ。 ぼくは2往復、あるいは3往復を覚悟していたが、結局一往復で済んでしまった。 階下まで出迎えてくれた徐さんがディスプレイを、ジェニーさんがパソコン本体とアクセサリーを運んだからである。 パソコンテーブルは病み上がりのカラダには少々辛い。 ぼくは着ているワイシャツを脱ぎ、全身汗まみれで徐さんの部屋におじゃますることになった。

居間は思ったより広く、きちんと整理整頓されていた。 壁に掛けられた写真に目がとまる。84年前に撮った家族の写真。 徐さんの後ろに写る父親のアタマはしかし弁髪ではない。 辛亥革命は1911年、さすがの徐さんも「清の時代」には生まれていなかった。 慎ましい老人のひとり暮らしを思わせる調度品。 そのどれもが、ぼくの歳よりも古いものなのだった。 50年前のラジオ、それは最新のステレオフルコンポーネントよりはるかに大きく、キャビネットの上には大きな「奥さんの遺影」がにっこりと飾られていた。 ぼくは一度その遺影に黙祷した。 そのとたん、ダイニングテーブルに飾られた小振りのバラが小さく揺れた、気がした。

ジェニーさんがパソコンの調整をしている間に、さっそくぼくはパソコンテーブルの組み立てに取りかかることにした。 ドライバーやハンマーはあらかじめ用意されていた。 徐さんは自分で組み立てるつもりだったらしい。 ぼくは、「ひとりでやりますから、徐さんはソファに座っていてください」と、何度も言うのだが、「ナオキンサン、面倒をかけてスイマセン」と、組み立てを手伝うその手を休めようとしない。 「なんて90歳だ、この人は!?」、と今夜ぼくは、いったい何度感嘆すればいいのだろう?



▲ パソコンテーブルの組立てをするなおきんと徐さん。 中腰でどっしりと座る徐さんに注目! この老人、ただものではない・・・

ようやくテーブルも完成し、さっそくパソコンを設置してみる。


▲ 完成したパソコンテーブル (汗だくのなおきん)

もう、徐さんはそわそわと落ち着かない。 90歳なのにまるで5歳の子供のようだ。 太い、細い、黒い、白い、それぞれのケーブルを手際よくつなぐジェニーさんに、徐さんはいちいち 「コレはなんのケーブルか?」 と質問攻めしている。 ぼくはその間、ずっと流れる汗と格闘していた。 この部屋には冷房がない。 代わりにぼくと同い年の扇風機が、ぶんぶんとうなっているだけだった。 「エアコンは身体に良くないですから」と徐さん。 確かにそのとおりだと思うのだけど、汗はつつーっと頬をつたい、アゴから床にポトリと落ちた。


パソコンに明かりをともすと、徐さんはさっそくイスを引っ張りだしてきて、その前に姿勢正しく座る。 そして画面がスタートする前からマウスをくるくると動かしている。まるで、新しいおもちゃに夢中な子供なのだった。


▲ 真剣に画面を見つめ、ジェニーさんの説明に耳を傾ける徐さん

徐さんは「タイプライター」を打っていたことがあるという。
「いつ頃ですか?」
「60年前ですかね、いや70年前だったかなあ・・・」
だのにこの老人は、孫にワードを立ち上げてもらうと、とたんにタイプし始めるのだ。
"Lazy fox jumping quickly over sleeping dogs."
童話の一説、さらりとタイプしてみせ、「はははっ」とはしゃぐ90歳。 ジェニーさんが拍手する。 ぼくもつられて拍手する。 窓の外から満月がのぞいている。 あのパソコンが、こんなにも情緒深い道具だったなんて・・・


▲ 必死にタイプを始める徐さん

「パソコンつかって、何をするんですか?」、とぼく
「ジェニーや、アメリカに住む弟と、ビデオチャットするんです」
「チャットルームで、ガールフレンド見つけるんでしょ?」
と、ジェニーさんがいたずらっぽく笑う。ぼくも一緒に笑おうとするが、徐さんは少し寂しそうに、

まわりの友達は、みんな死んでしまいました。何十年もかけて、まいとし、まいとし、少しずついなくなりました


長生きするとはまた、そういうことなのかもしれないな、と思う。
けれども、好奇心のかたまりのようなこの人にとって、人生はようやく折り返し地点にはいったばかりなのかもしれない。


それにしても・・・・


▲ ブロードバンドの説明書を食い入るように読む



▲ 「これでアメリカとビデオチャットするんです」と徐さん


なんて、無邪気な90歳なのだろう!?




応援ありがとうございます、90歳に負けてられません。がんばらなきゃ、とぽちり